稲垣和三 (Kazumi Inagaki)、国立研究開発法人産業技術総合研究所
産業技術総合研究所 (AIST) の環境標準研究グループは、ナノ粒子分析システムの開発を目標に取り組んでいました。これは、既存の質量分析装置をベースに、外付けで計測用ハードウェアとソフトウェアを追加して、高速の計測と大量のデータ処理を実現するシステムです。
NIのPXI、FlexRIO、LabVIEWを基本的な構成要素とした太陽計測株式会社のNT2600 Startup Kitを使用しました。この構成によって、高度にカスタマイズ可能なシステムを開発できたほか、短期間で実現するという要求も満たしました。
国立研究開発法人産業技術総合研究所 ― 稲垣和三 (Kazumi Inagaki)
国立研究開発法人産業技術総合研究所 ― 宮下振一 (Shin-ichi Miyashita)
太陽計測株式会社 ― 秋山日出夫 (Hideo Akiyama)
環境標準研究グループは、国内最大の公共研究機関である国立研究開発法人産業技術総合研究所所属の一部門です。環境標準研究グループは、化学分析手法とその手法に対応した計測システムの信頼性をさらに高めることによって、化学分析の信頼性を確保するべく努力しています。私達のグループは、技術指導やコンサルティングなどのサービスも提供しています。高い再現性が得られる計測手法を実用的なレベルで確立し、それを社会に広めることが、環境標準研究グループのミッションです。
現在、私達はカドミウム、鉛、水銀など、食品および環境試料中に含まれる重金属の分析手法を開発しています。化学分析で主に使用する計測器は、誘導結合プラズマ質量分析法 (ICP-MS) 計測器です。これを使うと、たとえば水道水中のカドミウム含有量などを計測し、その結果を確認できます。グループが今、注力しているのは、ICP-MS計測器を用いたナノ粒子計測手法の開発です。これによって、特に北米とヨーロッパにおいて高まりつつあるナノ粒子関連の規制策定に対する要求に対応します。こうした動きに対応して、研究者達はナノ粒子の個数やサイズを計測する手法と、その性質を評価するための手法を確立しようとしています。また、用語と知識の統一を図る努力も払われています。そうした手法の1つが、ICP-MS計測器によるナノ粒子の個数とサイズとの計測です。
ナノ粒子とは、直径が1~100 nmの粒子です。すでに、ナノ粒子は化粧品や電子機器、塗料などの用途で広く使用されていますが、他方、食品や環境に対する影響についての懸念も指摘されています。そのような問題を正しく理解するために、ナノ粒子の種類や量を精確に計測する方法が必要でした。通常、ナノ粒子のサイズと個数の計測には、電子顕微鏡または光散乱法が使われます。ただし、これらの方法は化学的性質に基づくものではないため、数種類の異なる組成の粒子が試料に混在する場合、それらを判別することができません。この問題に対処するには、これまで物質の同定や定量に使用されてきた質量分析法が役に立ちます。以上の理由から、ICP-MS計測器を使用したナノ粒子の分析手法に注目が集まっていたのです。現在では多くの研究者が、この手法に対応するシステムの実現に取り組んでいます。
ICP-MS計測器を使用したナノ粒子分析は、以下の方法で実施します。この方法で対象とするのは、ナノ粒子を分散させた液 (分散液) です。この分散液を噴霧することで、アルゴンで生成した誘導結合プラズマの中にナノ粒子を誘導します。それにより、プラズマ内でナノ粒子が分解して原子化し、イオン化します (図1)。通常の質量分析法では、このような処理を経た後、各種イオンを質量 (質量電荷比) に応じて分離し、1秒程度の積算時間でそれぞれのイオンの数 (強度) を計測します。対照的にナノ粒子分析は、分散液中に含まれるナノ粒子の個数 (分散液中の個数濃度) および各ナノ粒子のサイズ (分散液中の粒径分布) の計測を目的とします。図1の右側にある赤い部分で示したように、1個のナノ粒子がイオン化されるたびに、100~500 μsの時間幅でイオンシグナル (イベント) が発生します。発生するイベントの数をカウントすれば、分散液中に含まれるナノ粒子の個数がわかります。さらに、各イベントの面積を算出することで、各ナノ粒子のサイズを確定できます。この手法は、single particle ICP-MS (spICP-MS) と呼ばれています。
上述のとおり、spICP-MSという分析手法は、理論としては完成しています。ただ、それを具現化したシステムを構築するには、いくつかの課題を解決する必要がありました。環境標準研究グループで使用していたICP-MS計測器は、この手法を実現するためのハードウェアに求められるスペックは満たしていました。つまり、必要とする信号は出力されていたのです。しかし、ナノ粒子の分析というニーズはもともと存在しなかったので、ICP-MS計測器はそれに対応する機能を備えていませんでした。とりわけ、問題となったのが計測速度でした。各ナノ粒子からのイオンは、100~500 μsの時間幅で次々に発生します。これは、質量分析装置を用いた化学計測の世界では非常に短い時間です。100 μs未満の時間分解能 (10 kHzのサンプリングレート) で計測するというのは、質量分析装置を用いた化学計測における通常の感覚からは3桁以上ずれていました。
また、高速で計測を行うということは、通常の化学分析と比べて、生成されるデータの量も膨大になることを意味します。従来は、手作業でMicrosoft Excelにデータをエクスポートしてから処理していました。しかし、データ量が肥大化することで、1つのサンプル (分散液) からデータを取り出して、必要な演算処理を行うだけでも1日がかりの作業になってしまいます。当然のことながら、計測の対象となるナノ粒子は何種類もあり、再現性を確認するためには計測を繰り返し行う必要があります。そのため、データ処理にかかわる作業がとても大きな負担になっていたのです。私達が求めていたのは、これまでどおりICP-MS計測器を利用しながら高速で計測し、大量のデータをリアルタイムで処理して結果を蓄積できるシステムの構築でした。ただ、そのような計測器を製品として提供しようとするメーカーが存在しなかったわけではありません。問題は、すでにICP-MS計測器を所有している組織では、通常、ナノ粒子の分析機能をその計測器に付加できないことでした。つまり、質量分析に加えてナノ粒子分析も実行したければ、既存のICP-MS計測器のほかに、非常に高価なspICP-MSシステムを追加で購入しなければならなかったのです。仮に、既存のICP-MS計測器をナノ粒子分析用に改修したいという要望にメーカーが対応してくれたとしても、何か月もの時間を要していたでしょう。また、メーカーがspICP-MS計測器を商用化する場合、さまざまな機能を盛り込んだシステムを構築するはずです。それでも、最初から必要十分な機能が盛り込まれるとは限りません。実際のところ、何度も計測を行いながら最適化を図ったほうが、より使い勝手の良いシステムを構築できる可能性があります。こうした理由から、ICP-MS計測器に外付けでナノ粒子分析機能を追加し、その上で各ユーザのニーズに基づいてカスタマイズできるような柔軟性を備えたシステムを構築したいと考えました。
上述の方針に沿って新たなシステムを構築するために、環境標準研究グループは、NIアライアンスパートナーである太陽計測株式会社の協力を得てシステムの開発に取り掛かりました。図2に、spICP-MS計測器に相当する新たなシステムを示します。図の左側部分は既存のICP-MS計測器で、分析計として使用します。図の右側部分は、今回採用した太陽計測のNT2600 Startup Kitという製品です。NT2600は、信号収録、高速演算処理、タイミング処理に使用する汎用システムです。ハードウェアは、NIのPXIシャーシとPXIコントローラ、高速でデジタル信号を処理するNI FlexRIO、およびデジタイズ用のアダプタモジュールから構成されます。必要なプログラムは、グラフィカルなシステム開発プラットフォームであるLabVIEWを使って開発しました。図2のシステムでは、ICP-MS計測器から出力された電圧信号をアダプタモジュールでデジタイズします (サンプリング周波数は20 kHz~1 MHzの範囲で設定可能)。そして、デジタイズされた信号がFlexRIOに渡されます。FlexRIOは、FPGA内蔵のPXIモジュールです。エンジニアや研究者の間でしばしば課題となる複雑なデジタル信号処理を高速化することを目的にしています。以前は計測および制御関連の信号処理を、Microsoft Excelおよびプログラミング言語のCやPythonなどで開発したプログラムとしてPC上で実行していましたが、これらをFPGAに移植することで数百倍高速化できるケースも少なくありません。ただし、実装する信号処理アルゴリズムや採用するFPGAチップの種類などの条件によって、高速化の度合いは異なります。計測器で得られたデータをUSBドライブに移して自分のデスクに持ち帰り、PCでバッチ処理するような旧来のアプローチは、FPGAを利用する新しいアプローチへと変わってゆく可能性があります。なぜなら、計測器を稼働させた状態でFPGAでの高速な信号処理が可能なため、リアルタイムに処理結果を得ながら実験を進められるからです。これによって多くのエンジニアや研究者が自らの生産性を向上させ、新たな発見をするスピードが高まることに繋がります。
一般に、FPGA上で実行するプログラムの開発には、VHDLなどの専門的な言語の習得が必要です。研究と開発の期間によっては、限られたリソースの中でFPGA開発の専門家に依頼するのが難しいこともあります。一方、プログラム開発を本業としないエンジニアや研究者が複雑なVHDL言語の習得に励むことにも限界があると思われます。しかし、FlexRIOの場合、計測と制御の世界で広く活用されているLabVIEWと併用することで、FPGA用プログラムの開発が容易になるという利点があります。これまでLabVIEWを用いてPC上で動作するプログラムを開発した経験があれば、その経験をFPGA開発にも活かせます。たとえLabVIEWでの開発経験が無くても、VHDLなどのテキストベースの言語と比べれば、LabVIEWではより直感的なプログラム開発が可能です。
図2のシステムでは、FPGAの能力を駆使して高速で計測を行い、イベント数のカウントとイベント面積の算出をリアルタイムで実行し、その結果を蓄積するという機能を実現しました。
NT2600は、データ収録および演算処理用アプリケーションのNT2600_FPGAと、表示および保存用アプリケーションのNT2600_Windowsという2つのソフトウェアから構成されます。NT2600は、もともとデータ収集、位相時間の計測、タイミング処理の各機能を備えていました。そこへ電子顕微鏡のアプリケーション向けに、パルス数をカウントする機能が追加されました。つまり、ハードウェアはそのまま利用できたので、面積計算など、ナノ粒子の分析に必要な機能をプログラミングするだけでよかったのです。本案件に関する打ち合わせを始めてから、必要な機能を実装してユーザインタフェースを作成し、機能の最適化を終えてシステムを完成させるまでにかかった期間はわずか3か月でした。
このようにしてシステムを構築したことで、既存のICP-MS計測器を利用してナノ粒子分析を実現することができました (図3)。このシステムでは、計測や演算など、すべての作業をリアルタイムで実行できます。それによって作業時間を大幅に短縮できました。また、柔軟性の高いシステムを構築できたことから、システムを運用しながら、必要に応じてソフトウェアによって機能を最適化できるようになりました。
spICP-MSに相当するシステムとしては、多くのユーザのニーズを満たすものを実現できたと考えています。国内外の研究者から、どうやってシステムを構築したのか、またはどこでこのシステムを購入できるのかといった質問をよく受けます。今後の展開ですが、太陽計測は将来このシステムを化学分析分野の顧客にも提案するようです。また、高速で計測して大量のデータをリアルタイムで処理し、その結果を蓄積できるという特徴を活かすことで、新たに別の用途での利用も期待できます。たとえば、本システムをモニタリングに応用することが考えられます。何らかのプロセスにおいて、特定の粒子が生成されているかどうかを検証したいというニーズがあります。そうしたプロセスのモニタリングでは、ときに1~2時間または半日~1日かけて連続的に結果を取得する必要があります。このシステムは、そのようなニーズにも対応できます。最新のICP-MS計測器でさえ、連続モニタリングに対応できるのはせいぜい10~60分程度です。これ以外の多くの分野でも、大量のデータをリアルタイムで処理し、その結果を蓄積したいというニーズがあります。そうした分野へのFPGAの展開が期待されます。
稲垣和三 (Kazumi Inagaki)
国立研究開発法人産業技術総合研究所
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